慶應義塾大学通信教育課程☆奮戦記

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zoom RSS 変わりゆく銀座のあれこれ話

<<   作成日時 : 2013/07/01 00:11   >>

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 日本中に「銀座」と名前のつく商店街が
いくつあるのかはわかりません。
東京都内でさえ、「戸越銀座」「砂町銀座」
といった商店街が存在しています。
繁華街の代名詞として定着した銀座ですが、
このところ本家本元の「銀座」が変化して
いるようです。

現在の銀座は、京橋寄りの1丁目から新橋
寄りの8丁目まで縦に細長い区画が続く街
です。
碁盤の目のような縦横の道路で整備された
のは、江戸時代初期に徳川家康によるもの
だそうです。驚くことに、道幅はその当時から
変化していないといわれています。

江戸時代としては道の幅が広いのは、東海道
として参勤交代の通り道だったからだそうです。
西日本から来た大名は、いまの中央通りを
通って江戸城に向かったのでしょう。

反対にいえば、幕府がだれも住んでいない所
に道路を整備して町人に住まわせた場所と
いえるようです。
名前の由来は、いまの銀座2丁目付近に銀貨
を鋳造する場所である「銀座」があったことに
よります。


画像


銀座松坂屋が88年の歴史を終え、2013/6/30
をもって閉店しました。1924年開店というのです
から、1923年関東大震災の次の年です。
閉店を前にして、店内が混み合う松坂屋銀座店
に行ってきました。とりわけ屋上の遊園地の見納
めです。
子どもの頃は、デパートの遊園地が全盛で親に
連れて行ってもらったものです。

ついでに、銀座6丁目の交詢社ビルにも寄りました。
福澤諭吉が設立した我が国初の社交クラブという
ことで、現在でもその活動が続いています。

 [LINK] 一般財団法人 交詢社

現在は2004年に建て替えられたビルで、ファッション
やレストランなどのテナントビルにみえます。
しかし、その上階には社交クラブがあるようですが、
外見からはわかりません。
昔の建物のたたずまいは、ビルの一部に残されて
います。

画像


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